小林百哺の塾跡
和算家小林百哺(ひゃっぽ)は文化元年(1804)年小猿屋村に生まれ京都で暦学、天文学、測量学などを学び、ここに私塾「牙籌堂(げちゅうどう)を開いた。また高田藩の領内沿岸の測量や長州征伐、戊辰戦争 にも砲術指南として従軍した。明治になり学制発布後は柏崎学校直江津分校の数学教師となった。地租改正が行われた際の測量者の多くは百哺の弟子であった。これらの業績を称え、五智国分寺境内に顕彰碑がある。
施設情報
住所 | 上越中央2丁目 |
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中央2丁目バス停前下車 |